2012年3月30日金曜日


Japanese Literatures in EndNote

ご注意:このページの絵にはPNGフォーマットのものが含まれています。したがって、古いブラウザ(例えば、Netscape ver. 4.03以前)をお使いの場合は、絵が表示されない場合があります。

サーチエンジン等でこのページへ直接来られた方へ:このページの使っているEndNoteはMacintosh版で、バージョン番号は5.0.2です。その他のバージョンでも同じようにいくかは、保証いたしかねますが、Macitnosh版のEndNote ver. 4ではおそらく大丈夫だと思います。

0.はじめに

 EndNoteは、正式には日本語に対応はしていません。 例えば、Journal ArticleというReference TypeのAuthor欄に素直に日本語で入力しても、そのままではアルファベット順の並べ替えには対応していません。 そこで、できるだけ対応させる方法を考えました。 以下の内容は3部構成です。

  1. 日本語を表示できるようにする
  2. 日本語の参考文献がちゃんとアルファベット順に並ぶようにする
  3. 日本語の参考文献が本文中でも日本語として引用されているように整形する方法

ただ、所詮、日本語向けのローカライズが放棄されているソフトですので、限界があるのもまた事実です。 そのためもあってか、日本語が表示できるようにするためには、今までのライブラリを一旦総入れ換えしないといけない可能性もあります。 したがって、私の気付いている限界やワープロソフトごとの挙動を先に見てもらって、導入する価値があるかどうかを判断してもらった方が良いと思います。

更新履歴

2003年4月25日 とりあえず公開

1.日本語を表示できるようにする

 EndNoteのライブラリの表示フォントは、初期設定をいじっていなければ、Genevaです。このままでは2バイト文字を当然表示できませんので変更します。EditメニューからPreferencesを選び、新たに現れたウィンドウ内の左側のメニューでDisplay Fontsを選びます。Library Display FontsとGeneral Display Fontのそれぞれの表示フォントを2バイト文字(例えば、Osaka)に変更します。

2012年3月27日火曜日


MS-Wordによるアウトライン(書式設定)の設定方法

役に立った:2件

以下のような形式の規程を作成する場合のアウトラインの設定がどうやってもうまくいきません。
[Enter]キーと[Tab]キーでうまく頭揃えと通し番号の付番ができる方法があればぜひ教えてください。
なお、印刷書式(アウトライン)以外の方法でも構いません。
よろしくお願いいたします。

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      ○ ○ ○ ○ 規 程

2012年3月25日日曜日


MLA examples

「引用文献表」*
初めに:以下はMLAスタイル(とその思想)に倣っている。MLAスタイルは文献を表記する唯一の方法ではない。
多くの学問分野は独自の文献表示(documentation)のシステムをもっている。MLAスタイルは他の文献表示のシステムに比べると一般的により 簡単であるが、他の文献表示のシステムとの共通点は、本文中に置かれた「出典の表示」(parenthetical reference、文字通りには「括弧付き参照」)によって、論文末尾に置かれる「引用文献表」(works-cited list)を参照させる方式を取っている点である。このスタイルは人文学諸分野で広く用いられている。以下ではまず、「引用文献表」に記載する文献の表記 法について述べ、その後、「出典の表示」の仕方について述べる。MLAスタイルの詳細については、Joseph Gibaldi, MLA Handbook for Writers of Research Papers, Sixth Edition (New York: Modern Language Association of America, 2003)、翻訳版はジョゼフ・ジバルディ『MLA英語論文の手引』第6版、原田敬一監修、樋口昌幸訳編(北星堂書店、2005)、を参照のこと。

2012年3月23日金曜日


このサイトと管理者について

  ひとくちに言ってどういうサイトですか? 誰が作って管理してるの?

このサイトは、作者である私(nori)自身が調べたことや体験したことを元にしたシンシナティという街の情報と、私の1年間の海外生活をまとめたものです。

物好きな主婦 nori趣味の一環として個人的に作成した非営利サイトであり、一個人が自分の時間の中で1人でコツコツ管理しています。企業や団体等が管理運営しているものではありません。
そのため個人の主観がいっぱいです。オフィシャルなものではないし、ニュートラルな立場のサイトではないことを念頭において読んでください。

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  作者(管理人)はナニモノ? 観光局とかの関係者? シンシナティ在住者ですか? 

作者であり管理人である nori は、しつこいようですが、ただの主婦です。
夫・Piggyの仕事の関係で1999年4月〜2000年3月にシンシナティに滞在しました。期間はポッキリ1年間です。そして現在は日本に帰国しており、現地在住ではアリマセン
ついでに言うと、nori の夫はフツーのサラリーマン、一企業のエンジニアです。

作者noriも家族も、地元観光局・商工会議所・日米協会などとは一切関係ありません。また、それらの団体等に知り合いもおりません。日本人団体組織や日本人会のようなものがあるかどうかすら知りません。(夫の会社は日系企業じゃないのでそういう情報は入ってきません…。)
そういった場所や人とコンタクトが必要な場合は、ご自身で直接お願いいたします。
観光局、日米協会等はHPがあります。リンク集に紹介していますので、そこからコンタクト先を探してください。

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 どういう風にネタを集めていますか? 内容の信頼性は?

サイト内の情報は、管理人の知っていることや見たこと・体験したこと・感じたことについて書き留めたのがベースです。それに加え、このサイトを見てくださった方々がメールやBBSで色々と情報を提供してくださり、今に至っています。
要するに、管理人並びにコメントを寄せていただいた方々の、各々の行動と好みの範疇で集めたものでございます。したがって、コメント等に偏りがあったり、正確性を欠くことがあるかもしれません。そのつもりでご覧くださいね。

2012年3月19日月曜日

  • The Great Gatsby
  • F・スコット・フィッツジェラルド
  • F. Scott Fitzgerald

このころ、ニューヨークの野心に燃える若手記者がある朝ギャツビーの家にやってきて、何か言うことはないかと尋ねた。

「何に対してですか?」とギャツビーは礼儀正しく問い返した。

「そのまあ――たとえば声明とか」

5分ほどの要を得ないやりとりの後わかったのだが、どうやらこの男は会社で人伝手にギャツビーの名前を耳にしたらしい。といってもその伝手について、どういう伝手を明らかにしようとはしなかったし、そもそも完全には理解していなかったのだろう。その日は休みだったその男は、「百聞は一見に如かず」というわけで、まったく熱心なことにロング・アイランドまで飛んできたのだ。

それは闇夜の鉄砲とでもいうべきものだったけど、記者の本能は正しかった。ギャツビーの悪名は、かれのもてなしを享受したがゆえにかれについていっぱしの権威になっていた何百という連中によって喧伝され、もはや話題にも何にもなりようがないところまできていた。たとえば、「カナダへのアンダーグラウンドなパイプライン」みたいな現代的伝説がかれの身辺にまつわり、また、ギャツビーはひとところに住んでいるわけではまったくなくて、家のように見える船舶に住みこみ、ロング・アイランドの海岸を密かに上り下りしているのだと、しつこく噂されていた。こうした突拍子もない思いつきがなぜにノース・ダコタのジェイムズ・ギャッツを満足させるにいたったのか、語るのはたやすいことではない。

ジェイムズ・ギャッツ――それがかれの本当の名前だ。というか、戸籍上の名前はとりあえずそうなっている。17才のかれは、自分のキャリアのスタートを目の当たりにしたその刹那、名前を変えたのだ――つまり、ダン・コーディーのヨットが、スペリオール湖でもっともいやらしい浅瀬に投錨するのを見たときに。あの午後、破れた緑色のジャージにデニムのパンツという格好で海岸をうろついていたのは確かにジェイムズ・ギャッツだったが、借り出したボートをツオロミー号に漕ぎよせ、そこに停泊したまま30分も経てば風にやられてしまうと通知したのは、ジェイ・ギャツビーだった。

かれは、その当時すでに、ずいぶん長いことその名前を胸に温めていたのだと思う。無気力な敗残の百姓である両親――かれの想像力は、かれらを己の両親としてはけっして受けいれようとはしなかった。本当のところ、ロング・アイランドはウエスト・エッグのジェイ・ギャツビーは、自ら思い描いたプラトニックな構想から生まれでたのだ。かれは神の御子だった――もしこのフレーズになんらかの意味があるのだとしたらつまりそういうことなのだ――その父である神の御技、つまりは俗悪な美のために、どこまでも尽くさなければならない。だからかれはジェイ・ギャツビーというまさしく17才の少年が思いつきそうな人格を考案し、その構想に最後まで忠実だったわけだ。

1年以上、蛤を掘り、鮭を釣り、そのほか、寝食をあがなってくれる仕事をなんでもこなしながら、スペリオール湖の南岸をさまよいつづけていた。かれの引き締まった褐色の肉体が、過酷ながらも惰性に満ちた仕事をこなしつつ、アクティブな日々を生き抜いてみせたのは当然のことだ。かれは早くから女を知っていたけれど、女たちがかれをちやほやしてからというもの、かれは女たちを軽蔑するようになった。というのも、若い処女は無知だし、若い処女でなければ、ひたすら自分のことにかまけているかれにとってすれば当然のことにヒステリックに反応するものだから。

けれども、かれの心はずっと騒然とした状態にあった。なによりファンタスティックで、なによりグロテスクな自負心が、夜、ベッドに入ったかれを襲った。洗面台に置かれた時計が時を刻み、月が床に脱ぎ散らかされた服を照らし出す中、かれの頭の中では筆舌に尽くしがたくけばけばしい世界がとぐろを巻いていた。まどろみの抱擁を受けて描かれる鮮やかな情景にいつともなく幕が下ろされるまで、夜ごと、己の妄想に新たなパターンを付け加えていったのだ。こうした夢想は、しばらくの間、かれの想像力の捌け口になっていた。なんとなくでも現実が非現実的に思えてくるのは心が満たされたものだし、岩のように思える世界が実は妖精の羽の上にあるのだと請けあってもくれた。

それより何ヶ月か前、将来の栄光に導かれ、南ミネソタ州のセント・オーラフにある小さなルーテル派の大学の門をたたいたことがある。そこには2週間滞在したが、かれの運命の鼓動に対し、かれの運命そのものに対し、大学は、学費を支払うために警備員をやるよう指示し、その仕事を軽蔑したかれは、大学の恐ろしく冷淡な態度に幻滅してしまった。それからふたたびスペリオール湖に流れ、ダン・コーディーのヨットが浅瀬に投錨したときも、その日やることを探しているところだった。

コーディーは当時50、ネバダの銀床やユーコンの金といった、1875年以来のありとあらゆる貴金属ラッシュが生み出した人物だ。かれを一介の百万長者どころでない金満家にしたてたモンタナでの銅取引は、肉体的にはたくましいかれも、精神的にはもう少しで柔和といえそうなところがあるのが見出され、それに感づいた女たちは、数限りなくよってたかってかれとかれの金とを引き離そうとした。その中でも、エラ・ケイという、コーディーの弱さに対してマダム・ド・マンテノンの役割を演じた女記者が、コーディーをヨットに乗せて海に送り出すのに用いたあまりにもけしからぬ手管は、1902年の声ばかり大きいジャーナリストたちの共有財産となっていた。そしてコーディーは、5年にわたってひどく居心地のよい港町に片っ端から寄ってまわるうち、期せずして、リトル・ガール湾でジェイムズ・ギャッツの運命と交わったのだ。

お客様のご体験をお聞かせください。

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2012年3月18日日曜日

#2さんと同意見。

機能、形状(タイプライター型)の洗練度は「apple II 」がダントツです。

そもそもの「パソコンの定義」が定かでない。
(こういった進歩の激しいものは、言葉の定義が難しい、出来ない)

Altair(アルテア)8800はミニコン風をi8080(i8008
)?で作った物ですからパーソナルとは呼べないでしょう。
端末が要りますから・・・。
ZAXのBOXを長く使ってました。懐かしいです。

2012年3月17日土曜日

好きなのは、
・ぷりぷり(食感とか)
・シャキシャキ(スマートに動く様子や、レタスなどの食感)
・すやすや(快眠が大切)
・キラキラ(輝いている人って、いいですね)
・ギラギラ(欲が張った言葉ですが、嫌いではありません)

2012年3月16日金曜日


 《定義》

皮肉法は、

  1. 回りくどさ : ワザと自分が思っていることと反対のことを言う
  2. 推論 : 聞き手のほうでは、相手の言っていることが思っているのと反対だとキャッチすることになる
  3. 引用性 : 相手が言ったり行ったりしたことに関してのことを言う
  4. トゲがある :相手を非難したり批判したりするために使う
といった特徴をそなえているレトリックです。

なおこれは、"狭い意味"での「皮肉法」を、このサイトで採用したことを意味します。 これはつまり、"広い意味"の「皮肉法」というものもあるということです。

この"狭い意味"での「皮肉法」だとか、"広い意味"での「皮肉法」だとかについては、このページの下のほうに書いておきました。そちらを見ていただければとおもいます。



 《例文を見る》

例文は『フルーツバスケット』7巻。

草摩燈路が登場するシーンです。

じゃあね
ものすごくつまらない時間をくれてどうも
というところに注目してみましょう。

「つまらない」と言っているにもかかわらず、「どうも」というふうに、お礼をつけ加えている。これが「皮肉法」の例になります。本当は、ちっとも「ありがとう」なんて気持ちがないのに、反対に「どうも」と言う。まさに、本心とは反対のことを言っています。これを細かく分ければ「反語的讃辞」となります。

それはそうとして、この草摩燈路は、反語や皮肉を言うのがとっても得意。なもんで、この前後での草摩燈路のセリフにも、数多くの反語や皮肉がちりばめられています。それを、草摩燈路の登場シーンから順に並べていくと…

  • (拾ってと言われたので、靴を拾ってあげると)「何 マジで拾ってんのさ 愚か者」
というのから始まります。たぶん、透に靴を拾わせているのはワザとなんだと思われる。とすると、拾って欲しかったには拾って欲しかったんだろう。とすれば、一応は「拾って欲しくなかった」という事実と反対のことをワザと言っていることになります。ですので、「皮肉法」といえます。

さらに続けると…