標準化活動トピックス
1. はじめに
まず棟上会長の寄書の冒頭に「名誉会長および顧問から」とあって,(1),(2)とあるが,顧問である筆者の発言が(1)であり,(2)は和田名誉会長の発言なので,取り違えないようにお願いしたい.従ってこの場で筆者が論じたいのは(1)の関連である.
先日の総会の席で筆者が指摘したかったのは,標準化についての誤った通産行政であった.ところが,その被害者である筈の情報規格調査会が,少なくとも棟上会長のその席での発言によれば,それを効率の良い方法だ是認し,迎合しているかのように見えたのはやや意外であった.その席では時間が限られていて言い足りないことが多かったし,言葉のやり取りでは不正確になり易いので,この公開討論の場が設けられ,普段考えていることを文字によって存分に披瀝できる機会が与えられたことは大変嬉しいことである.
多少長くなるかもしれないが,討論の種にして頂ければ幸いである.
2. DVDのJISについて
好むと好まざるとにかかわらず,我が国には日本工業標準(JIS)というものがあって,形式上は日本工業標準調査会(JISC)という委員会がこれを制定することになっているが,委員はすべて通産省のお手盛りであり,その実態は通産省の一部門のようなものである.JISの原案作成業務は通産省が天下り先として設けた多数の外郭団体にバラ撒かれている.情報関係のJISも同様で,一部例外的なものだけが外郭団体ではない情報規格調査会に委託されている.
我が国で開発されたデジタルビデオディスク(DVD)の規格を,国際標準として提案することを通産省が多少でも考えていたとすれば,その国際的な審議はISO/IEC JTC 1/SC 23(Optical Disk Cartridge)で行われることは分かっていた筈であるから,当然JISの原案作成はSC 23対応の国内委員会を持つ情報規格調査会に委託すべきであった.そんなことはまったく考えていなかった,あるいはSC 23のことは知らなかったとすれば,そういう国際的センスのない人たちが,JISの制定や国際標準への対応の権限を握っているということが問題である.
とにかく実際にはDVDのJIS原案の作成は光産業技術振興協会(OITDA)に委託され,情報規格調査会は出来上がったJISをJTC 1のファストトラック手順に乗せる手続きをしたに過ぎない.棟上会長によれば,情報技術関連の標準化のすべてを情報規格調査会だけでは消化し切れないから,外部の力を活用するのだとのことであるが,OITDAでDVDの審議をした委員とSC 23国内委員会委員とはかなり重複している筈であり,情報規格調査会の委員が別の場所で仕事をしただけのことで,外部の力の活用にはなっていない.しかも委員会の構成が同一とは考えられないので,審議は結局二度手間になり,時間,費用,人的資源などが明らかに無駄になっている.
筆者の発言が情報規格調査会の名が表に出ないことにことについての非難のようにも捉えられているが,そういうことを言ったのではなくて,情報規格調査会にとって技術的にやり甲斐のある仕事にして欲しい,それにはせめてJIS原案の作成から引き受けるべきではないか,ということである.
和田名誉会長が本会の前身である規格委員会の委員長だった時代から,通産省が次々に外郭団体を設け,情報技術標準化の仕事をバラ撒くので,漢字のJISを始め,いろいろと問題を起こしている.もともと情報技術標準化に寄与できる技術者の数は限られていて,通産省が外郭団体を作ったからといってその数が増える訳ではないから,バラ撒けばバラ撒くだけ,効率が悪くなることは初めから分かっていることである.
3. 標準化は政府の仕事なのか? 国家規格とは?
そもそも基本的には,標準化というものを,我が国では政府機関が管掌しているところに問題がある.総会の席では基本問題から説き起こす時間がなかったから,端的に「J I Sを国費で作成するのはけしからん.」という表現になったが,筆者が言いたかったのは,標準化活動は元来メーカ,ユーザ,学識経験者などが手弁当で行うべきもので,そのようなボランティア活動に対して,政府が若干の助成金を出すことは結構なことだが,決して口をだすべきではないということである.技術的に無知な行政官が時代遅れの法律を盾に,口を出すどころか,担当団体まで決定していることは嘆かわしい限りである.
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JISをその発生源で大別すると,(a)DVDの規格のように我が国で開発されたものと,(b)まず国際標準になったものとの2種類になる.(a)をさらに国際標準にしようとする場合の問題は,前述のDVDの例で明らかであるが,(b)については件数も多くその問題はさらに大きい.
後述するように,情報技術の国際標準化の作業はISO/IEC JTC 1で行われており,これに対応する我が国の実務は情報規格調査会が担当している.JTC 1には多数のSC(Subcommittee)やWG(Working Group)があり,情報規格調査会にも対応する専門委員会や作業グループがある.従って(b)のJIS化は情報規格調査会で担当する方が,もともと自分たちが国際の場で審議したものであるから,ほとんど片手間で済むという利点がある.JIS化を機械的な翻訳だと考えれば,つまらない仕事だということになるが,実際はそうではない.審議の過程での日本語化により,バグの発見がずっと容易になるからである.
ところが現状では通産省が(b)の大部分をお気に入りの外郭団体である日本規格協会に設置した情報技術標準化開発センター(INSTAC)に委託している.INSTACは情報規格調査会の専門委員会や作業グループに相当する委員会を設けてJIS化作業を行っているが,エキスパートの数には限りがあるから,殆ど同じ顔ぶれの委員会をわざわざ場所を変えて開催するだけのことで,時間,費用,人的資源が無駄になることは明らかである.
棟上会長のコメントに「国家規格の作成に国の資金を使うことが悪いことなのかどうか…」とあるが,「国家規格」とは 本来 "International Standard" に対応する "National Standard" であって,少なくとも欧米先進諸国では "National Standard" は政府制定の規格ではない.米国のANSIを始め先進国の多くの標準化団体は経費を企業メンバーの会費,規格文書の売り上げなどによって賄っており,政府からは助成金さえもらっていない.BSI(英国規格協会)は多少もらっているようであるが,筆者が同協会のAlan Stevens氏から聞いたところでは,その割合を自ら制限していて,政府に口を出させないようにしているとのことであった.
"National Standard" の作成はあくまで受益者によるボランタリーな活動として行うべきものであって,それに国費を使うことは間違っている.「いや日本では "National Standard" は政府の制定だから当然だ」という意見があると思われるが,政府が制定していること自体が間違っていて,是正が必要だというのが筆者の考えである.
4. 情報技術の国際標準化への対応[1]
情報技術の国際的な標準化活動は,1961年ISOがTC 97を,IECがTC 53を設置したときに始まった.しかしISO,IECでバラバラに活動していては無駄が多いということで,1987年これをISO/IEC JTC 1に統一した.蛇足かもしれないが,国際規格でさえ効率を考えて,このように1個所に纏めているのに,"National" レベルの規格作成作業を何箇所にもバラ撒くとはなにごとかと言いたい.
ISOもIECもともに非政府間機構(Non-governmental Organization)であり,ITUのように政府間の条約によるものではないが,それぞれ国際的な合意の下に標準化を進めるために,世界の国々からの参加を求めている.各国を代表する参加団体は一つに限られていて,これをISOではMember Body,IECでは National Committee,これら双方の傘下にあるJTC 1では NB( National Body)と呼んでいる.今はどうなっているか知らないが,筆者が情報規格調査会長をしていた頃,政府機関がNBになっているのは大抵共産国か発展途上国であった.欧米の先進国にはその例を見なかったし,現在でもそうであろう.我が国はJISC(実体は通産省)がNBになっているのだから,まさに発展途上国並みである.
1961年情報技術の国際的な標準化活動が始まった頃,JISCはすでにあり,ISO,IECの双方に加盟していたが,情報技術に関してはその実務を委託する団体がなく,我が国はこの分野での国際的な動きには事実上無関係であった.当時電気試験所電子部長で情報処理学会常務理事であった和田名誉会長が,この状況を憂慮して通産省と交渉の結果,1960年に発足したばかりの情報処理学会でその実務を引き受けることになった.これが情報規格調査会の源流である.
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政府管掌の弊害はこの面でも現れている.通産省は,実務は委託しているものの,「本来は自分の権限だ」と主張したいのか,あるいは形式を尊ぶためか,なにかと屋上屋を作るので,役にも立たないことに時間が空費される.その上,情報規格調査会は通産省の外郭団体ではなく,天下りの受入先でもないから,可愛気がなく,通産省は何かにつけてその業務範囲を狭めようとする.
1985年7月 日本規格協会に情報技術のためにだけわざわざINSTACを新設して,国際標準JIS化の作業の大部分を移したのはその一環であった.その後,自分で勝手にバラ撒いている業務を大同団結するという美名のもとに,もう一つ外郭団体を作ってそこに情報規格調査会を吸収しようという試みもあったが,これは情報規格調査会の抵抗でうまく行かなかった.滑稽だったのはINSTACがなにか国際的なことをしたがって,米国のNBであるANSIと日本規格協会との連絡会議のようなものを再度にわたって開催したことである.もちろん何の成果もなかった.
5. 国際標準化の世界では発展途上国並みの我が国[1]
政府機関がISOやIECに加盟している国は,発展途上国並みだと思われても仕方がない.このような状況に我が国が甘んじていなければならないのは何故か.
IECが発足したのは1906年であった.我が国からは電気学会がNational Committeeとして,早くも1910年に参加したが,第2次大戦で中断した.1953年に漸く再加入が許されたが,1949年に工業標準化法が成立していたので,電気学会ではなくJISCがNational Committeeになった.一方ISOは戦後1947年に発足したが,1952年にJISCがMember Bodyになった.1952-3年といえば,我が国は産業界が戦後の疲弊からまだ立ち直っていないときで,まさに発展途上国であったから,このときJISCが産業界の肩代わりをしたことは止むを得なかったと思われる.
しかし我が国が経済大国になってからも,発展途上国と同様に官庁が加盟していることは許されないのではないか.行財政改革や規制緩和が叫ばれているときに,なぜこれを産業界に戻そうとしないのか.それは官僚が一度手にした権限を自ら放棄することは絶対にないからである.しかも国際標準化などという票に繋がらないことは政治家の目にとまり難いし,仮にとまったとしても,理解できないから,官僚に必要だと説明されればそのままになってしまうに違いない.一方産業界の方も通産省が嫌がることは言い出したがらないし,近視眼的にはISOやIECの国際分担金を政府が税金から払ってくれるならその方が得だと考えるに相違ない.これを直すには恥ずべきことではあるが,また外圧以外にはないのではないかとさえ思わ れる.
6. 情報技術標準化での国際的な寄与
国際的な寄与には(A)標準案そのものへの寄与と,(B)JTC 1の運営に関わるものがあることは,棟上会長の指摘のとおりである.初期には(A),(B)どちらについても日本の寄与は殆どなく,国際会議に出席しては文書を集めて持ち帰るだけの存在であった.
(A)の最初は1968年9月のチャネルインタフェースの提案[1]であった.7年間にわたる努力にもかかわらず不成功に終わったが,日本もかなりのものだということを国際標準化の世界に示すことにはなった.(B)は1979年6月 SC 16/WG 4のコンビーナに苗村憲司氏(当時電電公社,現慶大教授)が任命されたのが最初で,その後の和田名誉会長のTC 97副議長就任,SC 23の幹事国引き受けなどを契機に,先進国並みの寄与ができるまでになった.1987年筆者はIEC とISOに分かれていた情報技術標準化の業務を調整する委員会に出席し,思い切ってこれらを統合しようという提案を行った.この提案はISOのEicher事務総長が"tsunami"と呼んだほどの大きなインパクトを与え,JTC 1が誕生する切っ掛けとなった[2].
従って問題は(A)である.日本発のシステム標準の提案は成功しない.という説もある.そうかもしれないが,筆者は自身が関係したチャネルインタフェースとSSI(Systems Software Interface)の失敗の経験から,我が国で開発した事実上の標準(De Facto Standard)で,オープン化によって,海外のユーザやメーカにも役に立つものでなければ成功しないと考えるようになった.これは棟上会長の意見とほとんど一致していると思われる.
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この基準に照らしてみれば,チャネルインタフェースは日本で開発したものではあるが,大型プロジェクトと電電公社のDIPSにしか採用されていなかったから,事実上の標準ではなかった.またその仕様はIBMのチャネルインタフェースがベースで,それに電気試験所と富士通の特許を加えて改良(あるいは改悪であったかもしれない)したものに過ぎないから,オープン化によって海外のユーザやメーカの役に立つということは考えられない.
SSIは応用プログラムのプラットフォームを標準化しようというもので,筆者と棟上会長が推進したものであるが,事実上の標準の提案ではなく,国際会議の場で標準を開発しようと言う提案だった[3].NTTから具体案としてCTRONの提示があったが,チャネルインタフェースでの反省から,いきなり具体案を出すと却って各国の反撥を買うのではないかと懼れたことと,当時はOSIが全盛で,標準は委員会でコンセンサスを取りながら「開発」するものだという,今になって考えれば誤った概念に取り付かれていたために,CTRONは単に参考として掲げるのにとどめた.
棟上会長の反省では,参考としてではなく,CTRONを事実上の標準として提案していたら,あるいは成功していたのではないかという.確かにある程度先に進むことはできたかもしれないが,CTRONはNTTのいわば特殊な仕様であり,オープン化によって,POSIXや当時のMS-DOSのように役に立つとは思えないから,結局はこれら事実上の標準の敵ではなく,不成功に終わったと思われる.
7. 日本のメーカの体質
事実上の標準が前提となれば,ハードウェアであろうと,ソフトウェアであろうと,まず新しい製品が開発されなければならない.システム標準の提案が成功しないと言うことは,新規性のあるシステム製品が我が国にはないということに他ならない.
日本のコンピュータ産業は米国より10年遅れて発足し,多かれ少なかれ,米国のメーカを手本にしてきた.グローシュの法則が成り立っていた大型機の時代に,アーキテクチャもオペレーティングシステムも海外依存であったことは,10年の遅れをを取り戻し,ビジネスとして成功させるにはやむを得なかったものと思われる.
しかしマイクロプロセッサが登場し,ダウンサイジングやオープン化が進んでからも,何一つ新規性のあるシステム製品が現れていない.筆者はその原因が日本のコンピュータメーカの体質にあるのではないかと考えている.大型機の時代にシステム仕様については海外のものに従うことに慣らされてしまった上に,電電公社や通産省に飼い慣らされて,仕様が海外から与えられるか,DIPSのような開発発注,通産省の第五世代のような研究発注,あるいは助成金がないと,リスクの多い新規のシステムには取り組まないという体質になっていまったのではなかろうか.
筆者がSSIを推進している時にもメーカのこの体質が明瞭に観察された.SSIが確立されれば利用するかもしれないが,自分たちが委員会で白紙からそれを開発することはしたくないというのが基本的な態度であった.一方ではNTTのCTRONが進行中であったが,これは発注に繋がるため,十分なメーカの協力が得られたようである.
8. それではどうすれば良いか ?
メーカの体質改善をここで一般的に論ずるのは当を得ていないから,標準化の面でどうすればそれに貢献できるかと言うことに的を絞りたい.といっても標準化は新製品開発の極めて重要な側面であり,多くの場合新製品開発そのものであるから,この面での改善が行われれば,一挙にメーカの体質改善に繋がる可能性もある.
我が国のメーカは「標準は天から降ってくるもの」と考えているようである.JISを政府が制定し,国際標準化機構への加盟者も政府機関であってみれば,そう考えるのがむしろ当然で,このままでは日本発の国際標準などは到底無理である.我が国の標準化もそろそろ開発途上国並みの政府制定から,本来のボランタリーな活動に戻すべきではなかろうか.「戻す」と言ったのは,戦前は工業標準化法がなく,例えば電気関係の標準は電気学会傘下の日本電気工芸調査会が制定し,IECにもこの調査会が参加していたからである.
棟上会長が米国IEEEでの標準化活動成功の鍵は,そのもとになる技術の種(事実上の標準になるような新規の製品)と,それを標準化を通して広めたいという企業や,個人の情熱であると述べているが,筆者もまったくその通りだと思う.現在の我が国のように,政府が主導し,メーカがそれにもたれていては,その何れも出てこない.
IEEEの標準化活動の特徴は,あくまで会員個人のボランタリーな参加がベースになっていることと,標準化に関心がある会員は誰でも参加できるオープンな組織になっていることである.従って参加者も多く,例えば802委員会(Local and Metropolitan Area Network Standards)の場合には,年に3回ある1週間の総会にはそれぞれ400--500名もの出席がある.$300程度の会議参加費を取り,費用はすべて参加費で賄っている.出席の費用はすべて自前(勤務先の負担)であり,委員会の役員にも1週間当たり$200の雑費が認められるだけで,交通費やホテル代のIEEEからの支給はまったくない.
IEEEの雑誌ComputerにStandardsというコラムがあり,ミシガン州立大学のCharles Severance 教授が担当しているが,その記事[4]を読むとIEEEでのボランタリー活動がどのようなものかがよく分かる.彼によれば出席者にはメーカの最先端技術者が多く,彼等が会社の利害よりはむしろ技術的なメリットに基づいて熱烈に論議しているのを聞いていると,最新の技術に触れる機会に乏しい大学教員などは大いに啓蒙される.メーカの技術者も他社の技術者とフランクに論議することによって,得るところが大きいようである.ミシガン州立大学は彼がIEEEの会議に出席する費用として年間 $8,000を支出しているが,教員である彼のポテンシャルが高まることで,十分引き合う筈だと言う.
この点に関する筆者の反省は,筆者が情報規格調査会長だった時代に,会議の参加者が余りにも多いことや,会議の参加費をとることに強烈に反対したことがあったが,ボランタリーの建前からすれば,なにも反対すべきことではなかったということである.IEEEの状況をもっと良く調べて参考にすべきであった.
情報規格調査会と比べてみると,IEEEが政府とまったく無関係である点がまず大きく異なるが,それ以外にも異なる点が多い.投票のやり方など参考にすべきことが多いが,例えば情報規格調査会をオープンな組織にすれば,それで現状が改善されるかというと,まず産業界に標準の種ができなければ話しにならない.製品の仕様や規格は外国のメーカや発注元から与えられるもの,標準規格は通産省が制定するものだというメーカの先入観を払拭しないと,事実上の標準になるような新しいシステム製品が開発される筈がない.
この現状を改善するにはまず政府が標準化に口を出すことを止めてもらい,委託金のようなものも徐々に当てにしないようにして,その間に本当にボランタリーな標準化団体を確立すべきであろう.コンピュータ業界には通産省が作った日本電子工業振興協会の他には業界団体がないから,成功しているIEEEに倣って,情報処理学会情報規格調査会をベースにするのが最も実際的ではなかろうか.なお我が国ではアカデミアがその所属者の標準化活動を支持する慣習がないが,これも改革すべきことの一つである.
参考文献
[1]情報処理学会編:情報処理学会30年の歩み,第2編"規格活動の軌跡"情報処理学会(1990)
[2]高橋 茂:"IEC・ISO/ITMG会議に出席して,標準化ジャーナル,Vol.17,No.5,pp.64-68(May,1987)
[3]Sigeru Takahashi and Akio Tojo:"The SSI Story - What it is, and how it was stalled and eliminated in the International Standardization arena,"Computer Standards & Interfaces Vol. 15 pp. 523-538(1993)
[4]Charles Severance:"Grab the Chance to Work on the Leading Edge,"Computer Vol.31, No.5, p.99(May 1998)
初出:情報処理学会 情報規格調査会 NEWSLETTER No.39 (1998-09)
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